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10/30 House Of Praise

2019.11.14 REPORT

この日は「なぜこわがるのか」というメッセージでした。
テーマ聖句は、
「イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。すると見よ。湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ、助けてください。私たちは溺れそうです。」イエスは言われた。「なぜこわがるのか。信仰の薄い人たちだ。」それから起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。人々は驚いてこう言った。「風や湖までもが言うことを聞くとは、いったいこの方はどういう方なのだろう」マタイ8:23-27

この場面は、奇跡を行うイエスに、民衆が大熱狂して付いてくるので、その場所から移動している途中の出来事です。イエスはなぜ、活躍していた場所からあえて移動したのでしょうか。それはイエスには目的があったからです。

この湖はガリラヤ湖と言って、日本でいうところの秋田県の十和田湖のような地方にある湖で、すり鉢状になった地形の谷にあり、山から吹き下ろす突風で大きな波が立つ事があるそうです。
弟子たちは大波で揺れる舟の中で、とても怖かった様子が伺えます。
このような場面で、人は2つのうち、どちらかのリアクションを取ります。

1、慌てなくて良いんだ。
先生であるイエスは寝ていました。「先生が慌てていないんだから、慌てなくても良いんだ」弟子たちは、そう思うことも出来ました。

2、パニックする
自分のことしか考えられない状態。慌てる事は人生最大の損。慌てるという事は建設的な事を考える思考力を奪います。

イエスは弟子たちに「なぜこわがるのか。信仰の薄い人たちだ」と言いました。イエスはこれを弟子たちに判らせるために、連れて来たのです。
信仰とは盲目的に何かを信じる事でなく、ご利益のための宗教でもありません。
弟子たちはメシア(救い主)を求めていました。奇跡を行うイエスに「この人なら何か出来るかもしれない」となんとなく付いて来た人でした。でも風や湖という自然までもが言うことを聞くのを見て「この人は人じゃないんだ!」と初めて気が付いたのです。
そして自分たちが誰に付いて来ているのかを判らせるために、イエスが演出された場面が、このガリラヤ湖の場面だったのです。イエスにしたら「誰に付いて来てると思ってんの?」という気持ちだったかもしれません。

「誰と共にいるのか」それを自覚して歩むのが信仰です。
人は最も力を持っていると思っているものに支配されています。
ある人は「お金さえあれば、、」と思っていたり、また「結婚さえすれば、、」だったり。
それは宗教も同じ。お布施が多かったら祈りが聞かれるのではないし、仏像が祈りを叶えてくれるわけでもありません。信心があるのは良い事ですが、誰をどのように信じているのかを間違えたら、なんの意味もありません。

 「風を警戒している人は種を蒔かない。雲を見ている者は刈り入れをしない。」伝道者の書11:4
台風や地震を恐れて何もしない、チャレンジしない。伝道者の書のような人生は歩んではいけません。
恐れない人生を歩むことが出きれば、人生は絶対に不幸をもたらすものはなく、恐れこそあなたから未来の希望を奪うものです。見つめるところを間違ってはいけません。

日本人は自然を尊び、太陽や山を拝んだりしますが、イスラエル人は太陽や山を作り出した存在を見ていました。山の向こうに目を向けて「助けはどこから来るのか」と歌いました。受容と和を重んじてきた日本が、自然そのものが神ではなく、自然をも超えた偉大なる存在に気がつくことが出来たら、日本こそ世界の名士足り得る素晴らしいポテンシャルのある国だと思います。

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「パニックする弟子は、『先生、危険ですから起きてください』とは言いませんでした。恐怖で自分のことしか考えてなかったんです」というマレの言葉を聞いて、
普段の生活で、パニックで自分の事しか考えていなかったな、と思う場面を思い起こしていました。
パニックは、弟子たちのように、先生の無事すら考えられない状態に陥らせる事だと気付かされ、自分が誰と歩きたいのか、心から信じているものは何なのか、どのような人生を送りたいのか、改めて考えさせられる機会となりました。
また「日本には世界の名士足り得るポテンシャルがある」との言葉に力を頂きました

♪セットリスト♪

01. Lift Prelude
02. Always
03. Tell Everybody
- Message -
04. Total Praise