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4/24 House Of Praise

2019.05.01 REPORT

平成最期のHOPは「宗教は盲目なり」というお話しでした。

テーマ聖句はマルコの福音書3:1〜6
イエスと宗教家の対比が書かれています。

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「安息日」というユダヤ教の律法では労働してはいけない日に、
イエスはユダヤ教の教会にやって来ました。
イエスの行くところ、どこにも野次馬と弟子と宗教家たちがいて、
この日もイエスの周りは人で溢れていました。そしてその群衆の中で、
宗教家たちはイエスがする事をじっと見ています。

教会には一人の手の不自由な人がいました。宗教家たちは労働をしては
いけない日に、イエスがその人の手を癒す(労働)のではないか、と待ち受けているのです。

そこへイエスが問いかけます。
「安息日にして良いのは善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。
命を救うことなのか、殺すことなのか」

宗教家たちは何も言えなくなり黙ってしまいます。
それを見たイエスは怒り、嘆きながら、
手の不自由な人を教会の真ん中に立たせて、その人の手を癒してあげました。
宗教家が訴えようと見張っているからといって、「直さない」という選択肢は
イエスの中にはありませんでした。

「安息日」というのは、本来は神に目を留め、神と共に過ごす日なのに、
ユダヤ教という宗教がそれを曲解して、労働してはいけない日としてしまったのです。
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マレは、警察官と救急隊員の例を出して、「交通事故の現場で、
警察官は怪我をした人を助けるためにじゃなく、事故の原因や人を
追求するために駆けつける。でも救急隊員はどんな状況でも怪我をした人を助ける。
あなたは人を断罪するために生きている人になりたいですか?
人を助ける人になりたいですか?」

「権威が怖くて正しいことが出来なかったり、自分が持っている宝物で
人の命を救えるのに差し出すことが出来なかったり、
伝統を守ることに重きを置いて、本当に大切なものを忘れていたりしませんか?」
と問いかけました。

私は思い当たる場面がたくさんあり、自分を情けなく思いました。
人が完全な善人になることは出来ないけれど、いつもイエスのようになりたいと
思っていれば、少しでも近づくことが出来るのではないかと思いました。